あらゆる「記憶術」に共通するテクニックは、頭の中に「フック」と呼ばれる、記憶対象を結びつける鉤を設定することです。
このフックにあたる部分は、自分の指だったり、時計だったり、アルファベットやイロハだったりするのですが、それらでは少々、インパクトに欠ける懸念があります。
それゆえ、よく用いられるのは、自分の身体の部位とそれにまつわるイメージです。
たとえば、仮に1から10までの事象を記憶する必要がある場合、まず、自分の頭からつま先までを10個のパーツに割り振り、それぞれのパーツに関連づけて覚えるやり方です。
1番目に記憶すべき事象が「月」だった場合、「三日月の形をした帽子を被っている様子」として印象に留めておきます。
そして、最初の記憶が求められたら、自分の頭の上から順にイメージの連想を始めていくわけです。
「最初は、頭。ええっと、頭だから帽子を被る。どういう帽子か? おおっ、そうだ。それはとても特殊な形をしている。なんと、三日月の形をした帽子だった。そう、月だ!」
という、「三日月の形をした帽子」という、通常の社会生活では、常識的には在り得ない状況をイメージし、そのインパクトの大きさにより、連想を呼び起こして、記憶に刻み付けるわけです。
人間は感情の動物ですので、感動や感情に直接的に訴えかける事柄は鮮明に記憶に残りますし、それがたとえば、「痛みを伴うようなイベント」であれば、さらに記憶に残ります。
しかし、円周率を10万桁まで記憶するような場合、無味乾燥な数字の羅列に対しては、身体の部位などによるフックでは足りませんので、ゴロ合わせによる「物語法」となります。
いわば、あの「1192年 = 良い国作ろう、鎌倉幕府」などの歴史年号の暗記法みたいなもので、ストーリーの組み立てから、連想の再現までのすべてのプロセスを自分の中で正確に行う必要がありますので、それなりに想像力が求められるのです。